のんきにうたかたの想いを綴ります。
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『はたらきたい。』 * ほぼ日刊イトイ新聞
はたらきたい。はたらきたい。
(2008/03/18)
ほぼ日刊イトイ新聞

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久しぶりに「本」というブログカテゴリーを更新させます。
先月もちゃんと本は読んでいるというのに、
なかなか書き留めておく時間がとれないというのは、
わたしの時間の使い方がヘタというだけのこと。
読んだ瞬間に感じたことを忘れないように記録するために
このブログをはじめたというのに・・・。

さて、気を取り直して書こう!

書き留めておくのはこの本。
『はたらきたい。』

ほぼ日で「みうらじゅんに訊け!」というのをちょくちょく読んでいて(いや、正確には見ていて)
その就職篇というのが、いつになく素晴らしかったのです。
みうらさん、どうしてこうも魅力的なのだろうか。
すごくふざけているよういて、その言葉の奥の奥の方には
真理がある、という気にこちらがなってしまうのだから不思議。
すべて言葉の上からトレーシングペパーを被せるように、ぼかされてる、そこがいい。

そう、そんな連載が本になってるというので買ったわけなのです。
それが『はたらきたい。』

かつて、わたし自身も就職活動していた時期があって、
でも結局就職しないでずるずる暮らしてるという、今があるわけです。
あの時は、周りの流れで就職活動を始めたものの、
こころの奥では納得できてなかったから、4~5社だけ受けてやめてしまうはめに。
インターネットで会社をみつけて、エントリーシート書いて、面接受ける。
その流れが吐きそうだったから。
とても一対一で話してる気になれなかった。

そのむずむずした気持ちがなんなのか、
なんでわたしがあの一連の流れに納得できなかったのか、
この本を読んでついに納得できました。

わたし、ようやく就職できるかも!
という、帰路までやってきたような気がします。

この本は糸井さんが選ぶ4人と「はたらく」対談と
自由業4人の「偉大な無職」意見交換会と
みうらじゅんに訊け!就職篇で成り立ってます。
そのどれもが、安心感を与えてくれるから納得できたのです。
安心感というのは、どういう種類のものかというと、
自分があの流れに抗ってたのは、内心こういう思いがあったからなのだと、
この本を読んではっきりと自覚できたから。
闇雲にぐずぐず悩むというのはほんとうにあてのないことで、
「お先真っ暗」状態で苦しい。
でも、これはこの本にも書いてあることだけれど、
そのあてのない道先に、ひとつの灯りが添えられたのだから、そういう「安心感」。

そして一流の人たちが、
「はたらく」ということに対してこういうスタンスでやってきてますというところが
わたしの理想としている「はたらく」感と一致してることが、
嬉しかったのです。

わたしがこれから言葉にして相手に伝えていかなければいけないことの指針。
それはわたしが今まで「何を大切にしてきたのか?」ということ。
そしてこれから「何を大切にしていきたいのか?」ということ。
そこを互いに理解できる人たちと、これからもずっと手をつないでいきたいのだと思うのです。
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『沼地のある森を抜けて』 * 梨木 香歩
沼地のある森を抜けて沼地のある森を抜けて
(2005/08/30)
梨木 香歩

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3年前のわたしはこの作品に2ヶ月向き合ってたことになる。
読み始めてからきちんと終わりをみるまでに、2ヶ月かかったのだ。

どうしてそれを覚えているかというと、
(いや正確には覚えていないのだけれど)
このブログ。
これをはじめた根本はそこだったのだ。

わたしは、なぜだかすぐ忘れちゃう。
読んでも観ても、覚えてられない。
そうだ!読んだもの観たものを記録しよう!!というのと
その当時、幾人かから文章を書くことをすすめられていたこともあって
一石二鳥と安直の入り混じった解決策としてブログをはじめたのだった。

今じゃ日ごろのぐだぐだを吐き出す場と成り果てているけれど。

そういうわけで、ブログの生い立ちはさておき。
もとの話に戻ろう。

3年前の記事を読むと、当時のわたしは全然消化できてないことがわかる。

それが、だ。
今回、ふと、あることがきっかけで再び手にする。
そう、3年ぶりの対峙。

普段は何も感じない。
どうしてこうも同じ場所を堂々巡りしてしまうのだろうと、
いつも自分の成長のなさにがっかりしてばかりだ。

昨日と今日。
一週間前と一週間後。
それだけじゃ分からないだけで、ほんとうに少しずつだけれど、
それでもちゃんと確かに変わりゆくのだ、と実感することができた。

今回、7日間で読み終え、
さらに読後に、すんなりと染み渡る確かな心地よさがあったのだ。
今のわたしが持ちうる感覚が、この本のすべてとは言わないけれど
かなりの部分を感じ取ることができたとさえ思えた。

ちゃんと成長してるではないか、わたしも。

ここで敢えて「成長」という言葉を用いたけれど
ほんとうは「退化」なのかもしれない。
そこらへんの細かいところはわからないけれど、
まだ24歳という年齢から考えて「成長」でありたいというわたしの傲慢さかもしれない。
ま、どちらでもいいのだけれど(ほんとうは結構こだわっているが)
「何かしらの変化」がはっきりと確認できた、そのことがわたしを喜ばせるのだ。

さて、お気づきでしょうが、ここまではこの本を介しての「わたし」の話。
ここでもやはり、日ごろのぐだぐだの吐き出す場となってしまったわけだけれど。
最後にほんの少しだけでも、本そのものの話を。

この作品は細胞レベルまで視点を落とした、いのちの話。営みの話。
繰り返され続けてきた生き物の話。

生き辛い環境、
次へと繋ぐことへの諦めさえ感じられるこの世界に、
それでもわたしたちが繋がりを断ち切れない答えが描かれてる。

迷いながらも
手をとりあう、その率直さに。
わたしは答えがあるように思う。

タイトルに結ばれてゆく、物語の最後。
こういうふうにひとつの環となる完成度の高さが、わたしはすきだ。
『わが人生の時の時』 * 石原 慎太郎
わが人生の時の時わが人生の時の時
(1990/02)
石原 慎太郎

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さあさ、今月は飛ばしますよ。
新年ですもの(?)。

これ、去年、最後の日に読んでいた、あの本です。
初・慎太郎作品。
新聞への寄稿はよく読ませていただいてるのだけれど。

なぜか石原家の人々は下の名で呼び捨てにしてしまう衝動を
抑えることができません。
そんなわけで、以下著者を慎太郎と呼ばせてください。

この本は慎太郎が今まで経験してきたことで、
なぜだか心にひっかかているストーリーを書きとめた作品で、
それはそれは様々な色を見せてくれる。

特別、海での体験や人の生死にまつわる話が多い。
あとは目に見えないもののはなし。
字画が左右する人生の末路であるとか、人魂だとか。
戦争中の話もとてもひきつけられた。

いずれにしても彼の視線の先には、
人の死の淵、その輪郭が歳を重ねるごとにはっきりしてきたことが伺える。

裕次郎の最期の描写には、
正直すぎる慎太郎の言葉が胸を打つというよりは
まっすぐすぎて視線をそらせたくなるくらいだった。


『物語の役割』 * 小川 洋子
物語の役割 (ちくまプリマー新書 53)物語の役割 (ちくまプリマー新書 53)
(2007/02)
小川 洋子

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新年、最初に読んだ本は、
かつてから幾度も読み重ねている梨木香歩さん
村田エフェンディ滞土録』と『家守奇譚』だった。

それというのも、
今、わたしの居る環境がそうさせているのだ。
ただの道楽で続けている本を読むという行為
それは自分の内側でのみ完結する行為で、
誰かとそれを分かち合うという共同行為ではなかった、今までは。

それが、だ。
たまたま今の職場には、本を読むという行為に貪欲な人がもう1人居るのである。

彼の読書量はそれは、もう、わたしなどは敵うわけもないくらいの
素晴らしいもので、わたしはそれを尊敬しているのだけれど、
人づてによると、
どうやら、彼もわたしに対してそのように感じてくれている、らしい。
(オコガマシイ物言いで、ごめんなさい)

で、そのようにして、
あの人いろんな本読んできてるのだなぁ」と思っているお互いが
過去3年の読書歴を洗いなおして、エッセイ・評論と小説とわけてベスト5を選出し、交換をしたことがある。

それが、まあ、見事にひとつも被らないのである。
世の中に溢れる本の海の広さ深さを知って、わくわくし通しの日々が始まったのは言うまでもなく、
その日から、自分の一押し本をトレードしてはお互い、
知らなかった世界を覗いているのである。

そういう流れもあって、ほんとうにわたしの慕っている梨木作品を
「いざ、紹介しちゃうぞ!」という意気込みのもと、新年に読み返してみたのである。

彼とは去年知り合ったのだけれど、
ほんとうに新しい世界を見せてくれる。
そもそも、わたしは、今まで
海外小説新書評論など読んでは来なかったのだから。

この小川洋子さんの新書も、彼が貸してくれた。
読みやすいよ、と。
本当に読みやすくて仕事の合間合間に読んで、借りたその日に返したほど。

このなかで、著者がこのように綴っていたのが印象的だった。
国籍も育った環境も、年齢さえも違う人と出会った時に、
たまたま同じ本を読んでいたことがあると分かった瞬間、
同じ想いを共有したようになり、その人との距離がぐんと縮まる、
本とはそのような役割なのだ、と。

まさに、だ。
知らない誰かとちょっとでも繋がる手がかりとして、
わたしはこれからも本を読む。
今日読んだ本が、
いつか砂漠ですれ違った人と繋がる手筈になるかもしれないのだから。
『ほかに踊りを知らない。』 * 川上 弘美
東京日記2 ほかに踊りを知らない。 (東京日記 (2))東京日記2 ほかに踊りを知らない。 (東京日記 (2))
(2007/11/17)
川上 弘美

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もうなんと言ったらいいのやら。

わたし、この川上さんの多感な暮らしぶりがだいすきでたまらない。
ひとつ、ある日の日記を紹介しましょう。

 六月某日 晴

 下北沢に映画を見に行く。
 白黒の、森繁久彌の出る映画である。
 一本めの映画では森繁はトンカツ屋の主人の役で、二本めでは世をすねた
小説家の役だった。小説家の方は髭をたくわえたうえに黒眼鏡もかけていて、
下町の商人ふうだったトンカツ屋主人とはぜんぜん違う人にみえた。
 髭を生やせばあれだけ違う人に見えるのかと羨ましくなって、呻吟する。
 家に帰ってから、つけ髭(ずっと前のクリスマスに友だちから貰った)を
して鏡を見てみたが、いつもの自分とほとんど違っていなかった。あの違い
は、森繁の演技力あってこそのものとわかって、少し、安心する。


なんて、なんて可愛い人なんだろう。
そう思わずには、いられないのだから、
そういうところがこの人の魅力なのでしょう。

以前、遠巻きにお見かけした女性(おそらく60代)について、
彼女をよく知る人に尋ねたことがある。
その人(30代の男性)は彼女のことをこんなふうに紹介してくれた。
「あの人、可愛い人だよ。猫や犬なんか見かけるとこどもに戻っちゃう。
そんな人。でも尊敬できる人かな」

自分の半分もない年の男の子に
そんなふうに言われる人ほどすてきな女性はいないと思う。

この東京日記2を読んでいて、
急にこのエピソードを思い出してしまった。
なれるかしら、わたしも。
プロフィール

まりえ

Author:まりえ
日々、のんきに暮らしてます。

季節が少しずつ
移ろいでゆくように
わたしも
少しずつ
移ろいでゆこうと思います。

おたよりはコチラへどうぞ。

そして、引越し前(アメブロ)の記事は


コチラ。

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