のんきにうたかたの想いを綴ります。
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それは、文化祭の延長ではないのか?
先日知人から、チケットが1枚余ったとお誘いいただき、
とても名のある劇団のお芝居を観に行ってきた。

それも初日。
原作はわたしもだいすきな小説であったし、
最近、芝居に携わる人と話す機会にもめぐまれ、
新しい演劇に触れたいと思ってたところ、それは好機のできごと。

芝居の開始10分で、わたしは泣いた。

それは、これからおきるストーリーに
役者の演技に
観客のフィーリングすべてに感動したから、ではまるでない。

泣いた理由。
それは原作の小説が可哀想だったから。

なんてことだろう。
わたしが観たお芝居は最悪だった。
悪趣味にもほどがある。
小説の解釈など読んだ人の数だけあるのはわかってる。
わかっていても、だ。
あの演出はなんだ!

世界観など、まるきりちりじりにされてるではないか。
原作はとてもナイーブでそれでいて鋭い現実の中に
満ちる愛と優しさ、切なさを描いてるのだけれど、
それをあの芝居ではつまらない笑いがちりばめられ、
(それもほとんどが身内うけ)
さらになんのつながりも見つけられない音楽がばら撒かれてた。

観客のぬるさにも辟易。
お目当ての俳優に肩入れしてる場合か。
作品ではなく、劇団そのものをみに来てるといった感じ。
あそこに集う人たちにとって、
作品なんてもはやどうでもいいようにすら感じた。

幕が上がる前ならまだしも、
幕が下りた後、後がまたひどい。
芝居に浸るすきも与えず、演者が勢ぞろい。
挨拶だけならまだわかるけど、
ここぞとばかりグッズのコマーシャル。
買って!買って!!

これじゃあさ、プロとは思えない。
文化祭と同じ。

せっかくのいい原作がないがしろ。
わたしはその原作のために泣いたのだ。
あんたは、あのお芝居になんかなるんじゃなかったよ。
そんなことしない方が、ずっとずっと輝いてるじゃないか。
という、そういう涙。


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ララバイ、ララバイ
眠りに落ちるのが
簡単になった。

昔はあれほど悩んだというのに。

子守唄さえ、あればいい。
あとは、毎日同じ時間に眠るだけ。

Apple of our eye りんごの子守唄(白盤) Apple of our eye りんごの子守唄(白盤)
オムニバス、蔡忠浩+アン・サリー 他 (2007/11/21)
ビデオアーツ・ミュージック

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これ、最強のララバイ。
あとこの冬お世話になってるのが、羊毛とおはな。

LIVE IN LIVING’07 LIVE IN LIVING’07
羊毛とおはな (2007/11/06)
LD&K

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ユニットの名前からしてあったかそう。
ぬくぬくあたたまる音楽。
わたしとしては、
人魚のカバーにびっくりして、オリジナルはおまもりのうたがすき。
チェルシーの記録
20071127210954
抹茶ミルク発見!
他にも北海道ミルク、
コーヒーと
チェルシーは多角的に攻めてますな。
どれもおいしい。
チェルシーだいすきなわたしの
わたしのためだけの
チェルシーの記録。
タイトルなし
20071125063528
20071125063527
夕べはあんなに高い位置にいた満月が
ずいぶん下がってきてる。

その背中では、
1日のはじまり。

終わりとはじまり。
はじまりと終わり。
それはいつでも同時に起こる現象なのね。
待ちわび、て
20071124231745
今宵、パーティーに誘っていただいた。
詳細はなにも聞かずとしても
彼が誘ってくれる話に間違いなんかないのである。

それでも場所と時間の関係で今回は泣く泣く断念。

ふと、見上げたら満月だった。
そっかー、満月のパーティーか。あいかわらずおしゃれ。

そんなおしゃれな話を
不意にして
満月を眺めながら、待ちわびてる。
来るはずのものがこない。

口約束など、
真に受けるつまんない純真さが嫌になる。
昨日、新しく歳を重ねたあの子。
あの子は今、いったい何してんだか。
こちらのことなど、お構いなしに。
タイトルなし
電車の網棚よりも背の高い男の人が、
今、わたしの足元へ崩れ倒れてきました。
酔っぱらってる風ではなく、疲労困憊といった風。

こんなにも大きな人が
倒せる程のチカラ、労働ってなんなのかしらね。
(まぁでもこのストーリーはわたしの中の美化でしかなく、
本当は麻雀のしすぎで寝てないのかもしれないけれど)

わたしはそんな人もみんな連れて走る電車にて
寒い寒いわが街へと帰宅中。

今日もよきに出会いにめぐまれて、
糸を紡いてきた。
織り成すものがなんなのかは、これからだけれど。

やわらかでやさしいものに
なってゆくのだけはわかってる。

今年も残すところは
僅かばかりだけれど、
その僅かな中にも楽しい話が目白押し。

お顔がにやけて、たまらん!
『さよなら、サイレント・ネイビー』 * 伊東 乾
さよなら、サイレント・ネイビー―地下鉄に乗った同級生 さよなら、サイレント・ネイビー―地下鉄に乗った同級生
伊東 乾 (2006/11)
集英社

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最近知り合った大人と、
なんとはなしに本の話になった。

その方は静岡から東京まで新幹線通勤をされてるそうで、
2時間なにしてるのですか?という問いからこの話題へ。

幾つの方なのか、定かではないけれど
少なくとも一回り以上違う人で、
それもきちんとお話をさせていただいたのはたったの1回。
だけれど、そうなっちゃうのだ。

すきな作家。
最近おもしろいと思った本。
逆に「焚書にしてやろうか」(←彼女の表現をそのまま引用)と思った本。
見事に趣向がそろったので、彼女にひとつ聞いてみた。
ここ最近の一押しは?

今年読んだ本の中で、
一番おもしろかったのは小説ではなくルポルタージュだという。
わたしが読んだことのない分野、
どうなるかしら?と手をとったらば、そういうこと?!

面白くてページをめくるのが止まらない。

この本は1995年3月20日、地下鉄でサリンがまかれた事件について追いかけている。
著者の肩書きというのは、
元刑事でも元検察でもマスコミ関係者でもなく
巻末にはこのように記載されている。
「作曲家=指揮者、東京大学助教授」

この肩書きだけだと、つながりがみえてこないのだが、
事件と著者を結びつける糸は1人の男に端を発す。

あの日、地下鉄にサリンをまいた実行犯に
豊田亨という男がいた。
彼はオウム真理教の「科学技術省」次官であり、
その以前は東京大学で物理を学んでいた。
物理学科を卒業した後、東大の院へ進み、修士を修了し
博士課程進学直後に出家したのだという。
この男。
この男と著者。

ふたりは大学の同級生であった。
実験を一緒に行うペアであり、
レポートや試験の際にノートを貸し借りする、そういう「仲」だったのだ。

そんな友達がある日突然失踪し、
3年の年月を経てこのような最悪の事件の実行犯となっていた。

そのことが著者を駆り立ててるのだ。
そもそも大学で物理を専攻していた人が音楽家になっているという経歴もおもしろいのだけれど、
それよりもこの話の行き着くところがすごい。

オウムの行っていた洗脳やマインドコントロールについて
丹念に調べ、
さらにはこのテロがなぜ、おきてしまったのかを丁寧に分析してゆく。

1995年の事件から1945年に終結した第二次世界大戦の悲惨な末路、
ひいては2005年年のライブドア事件。

すべてが同じことの繰り返しと著者は言う。

とりわけ第二次世界大戦の話はびっくりすることばかりだった。
覚醒剤、特攻(しかもこの特攻がイラクの自爆テロなんかにも関連してくるだなんて、誰が知ってるというの?)、陸軍、海軍、実行者と発案者。これらのキーワードにまつわるめくりめく話。

「あとは読んでよ」としかいえない。

サリン事件といえば、わたしは小学生だった。
なんだかすごいこと起きたのかということだけで、思考停止だった。
無理もない。小学生なんて、そんなもんだ。
隣のクラスのだれそれがあなたのことすきなんだってとか、
そういったことの方が重大事件の時代ではないか。
わたしは実行者の豊田亨という男の名前すら、今の今まで知らなかったのだから。
麻原が弱視だったことも知らなかったし
オウムの教義がヨーガに因っていたことすら知らなかった。

でも見えてきたのはそんなことではない。
マスコミは語らない加害者だけれど被害者という構図。
(教団に無理やり出家させられたということ)
豊田という男がいかに純粋で頭がよく、優れた人格者であるかということ。
(現に、見返りも何もないのに大学の同級生が自分の事件について何年も洗いなおしてくれるのだ。よほど人望がなけりゃやってもらえない)
それと、優れた人格者である者ですら、
あのような事件を実行させてしまう、マインドコントロールの恐ろしさ。

なにより、二度とこのようなことを起こしてはならないという
著者の強い訴え。

そのために、わたしたちは、彼らの声をきくのだし、
覚えておくのだし、知っておくのだ。

無駄にはしないよ。じゃなけりゃ、気がついたときには
第三次世界大戦の渦中ということになりかねないのだから。
『世にも美しい数学入門』 * 藤原正彦 / 小川洋子
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ひとつ読み解くともうひとつと繋がってゆく、
読書の連鎖。

『博士の愛した数式』に、
『国家の品格』の藤原さんが関わっていたとは知らなかった。

わたしが『博士の愛した数式』を読んだのは、
かれこれ3年ほど前だったもの。
ここでも藤原さんは美的感受性が強い人ほど、
天才的な数学者になれるとおっしゃていて、
美と数学が関わっていたのだなんて、
これを読むまでまったく気がつかなかった話だ。

素晴らしい公式ほど、
圧倒的に美しいらしいのだ。

最近、完璧な美しさについて
考えをめぐらせたばかりであるわたしにとって、
だいきらいであった数学が
このように完璧な美しさを持ってアプローチをしてくるだなんて思ってもみなかった。



明るい週末
夕べは高円寺にいた。

前日、たらふくのんだくせに今日ものみにゆくのだと、
前日ののみ相手(仕事中)に意地悪なメールを送りつけて。

久しぶりの高円寺。

最初に向かうは、えほんやるすばんばんするかいしゃ。
新しい店舗になってからは、初。
前よりずっと駅から近くなってる。
店主のお兄さんはあいかわらずだった。
店内のネガティブなラベルに笑ってると、
むこうがわたしのことを覚えていてくださって、
ひととき、いいおはなしをさせていただく。

ああゆう物語をたくさん扱っているお店には、
自然と物語が集まって来ちゃうのだな、という話。
まるで映画のストーリーのような実体験を伺わせていただく。
いい時間が流れてる。
時を刻む振り子時計に見送られつつ、
次の目的地へ。

この日はうたとおいしいごはんを食べに来たのだった。

前に一度だけ聞いたことのある、
逗子からやってきた佐藤くんの歌は
やっぱりすごくいいものだった。
ああゆうのはどうしてなのかわからないけど、
しっかり出ちゃうもんなんだ。
彼の歌は風が吹いてる、海のやつ。
そういう音楽。
また、声がどうやって出てるのかと思えるほど
すーっと出てて、うたうたいの人はどうしてこうも特殊なのか。
いちじくのうたがよい、よい。

そして、おともだちのうたのはじまり。
これを聴かないとラブの充電不足で生きられなくなります。
しみるしみる。
浴びるように聴いてリラックスして、のびる。
「ことばひとつ」という曲がよすぎて、
くらくらして、どうにも我慢できないから
さっさとCD化しろ!とクレームをつけといた。

あの場所にはいつも1人でいくのだけれど、
いけば必ず誰かに会えるという不思議な仕組みになっていて、
夕べも馴染みの人に会えた。
いつものようにライブが終わるやいなや電車に飛び乗ったのに、
終電には間に合わなかった。
間に合わなかったけど、ちょうど、平行して
バイクで我が家へ帰宅してる人から奇遇にもメールが入ったので、
途中で拾ってもらえて無事帰宅。

だけども、タモリ倶楽部は間に合わなかったわ。
2週連続見逃してる、ありえん!!




『国家の品格』 * 藤原 正彦
国家の品格


今まで新書なんて読んだことがなくて、
いつも物語の中に埋もれてまばかりだったわたしが、
ここ最近、物語以外の本も手にするようになりました。

オーソドックスにこのようなベストセラーに手を出してみたら、
これが当たり!
やはり売れるだけ、ある。

この本の最も評価できるところは、
論理的思考に重きをおく数学者が書いているというところにあると思う。

情緒や武士道などの精神論を重点的に、
美しさや人のあるべき行動基準などを
とてもわかりやすいことばを使って丁寧にかかれている。

外国語よりも読書を!の触れ込みに
ひとまず、安堵。
日本語で考える能力がなければ、
いくら外国語というツールを持っていても
発信できるだけの中身がないという話。
無駄なことこそに情緒や美的センスを育てることができるという。

毎日、こうも無駄に本を読んでるわたしが報われた瞬間であります。

写真は、情緒あふれる場所にて撮影しました。
それにしても、最近携帯電話を変えたのだが、
画質悪いなぁ。


愛し、日々。
あー、なんていうの、言い訳じゃあないよ。

また、酔っ払ってますよ、わたくし。

駅からの帰り道、
星がいーっぱいみえて
寒いの、やっぱりすきだわーと思って、
こういう時、田舎に住むのも嫌いじゃないよと思えてしまう。

シャッフルにしてたnanoから、
キャロル・キングのso far awayがかかって、
強めの風がまた、しみて、センチメンタル。

今日なんて、
昼間は1年ぶり以上のご無沙汰な
かわい子ちゃんとデートして
夜は大人といいお酒のんで、今、酔っ払ってるというしあわせ。

相手とわかりあいたいと思えば思うほど、
饒舌ではなくなってしまうわたしなのだけれど、
今日の相手はそういうことば、すべてを
聞き漏らさないようにと待って、そして受け取ってくれる人だった。
嬉しかったなー。
そういう人に限ってわたしに感謝のことばを言うのだけれど、
お礼を言わせてほしいのは、こっちだ。

まだ、酔っ払ってるから
ことばもうまくでてこないけれど、
星がきれいにみえただとか
状況に合ったすきな曲がかかるだとか
強い風がしみるだとか
家に着いてもまだ酔っ払ってるほど
ぐんぐんお酒をのんだとか
そういうの、ぜんぶ、愛しいわけ。

愛し、日々。
小春日和
20071113114237
そんなこんなで
一夜明けたら
見事な小春日和だこと。

しかし!
我が職場の皆様は
「小春日和」を春の形容詞と思い違えてる方、多数。
季節の話ができないなんて
淋しいことよ。
夕べの話をしようじゃないか
20071113094145
大勢で鍋かこんで
美味しいお酒のんで
話たり笑ったりした。

調子にのって
日本酒なんかにも手だした。

気持ちよくなって
終電に飛び乗って
ガタゴト揺れて
駅に運ばれると
酔いはすっかり醒めてた。

自転車こいで
踏み切り渡ってたら
その先につづく
坂道の上のそのまた上に
久しぶりのたくさんの星。

ひとりで「わー」と声出して
写真を撮ってはみたものの
なーんも写ってはくれなかった。

あのまばゆさ、
伝えたかったのになぁ。

はじめて氷の結晶を
みたときに似てた、
あの「わー」はさ。
『天国はまだ遠く』 * 瀬尾 まいこ
天国はまだ遠く (新潮文庫) 天国はまだ遠く (新潮文庫)
瀬尾 まいこ (2006/10)
新潮社

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最近、思うところあってきちんと本を買うようにしてる。
古本の場合もあるけれど。
新刊の場合、大抵は文庫になってしまう。
それでも、自分の身銭を削って手に入れるのだから(大袈裟?
なんでも得てやる!の気概で読む。
その中の1冊。

瀬尾さんの描く物語はいつでもシンプルな美しさがあって、
不真面目さがないところがすきだ。

いつも読むときのわたしと同じ年齢の女の子
登場する偶然にも、もう、慣れた

気楽に読める文章も手伝って
1日かからずに読み終えてしまったのだけれど、
最後の最後で「あ!」と声を出してしまった。

人生に疲れた23歳のOL
田舎暮らしを通して見つけた今後。
未来へ歩き出すその旅立ちの日
田舎暮らしで世話になった田村という若者から言われた一言。

それに、あんたって、自分が思ってるんとは全然違うしな

これ、この一言にわたしは「あ!」と声を出しちゃったのだ。
この言葉。
わたしが最近誰かさんに言われた、あのことと同じ。

自分が思ってる自分
他人に見えてる自分

ふーむ。
181ページに詰まった最後の最後にこの言葉
わたしに問いかけるこの言葉

読んで損する本
この世に存在しないことは充分にわかってるつもりだけれど、
まさかこんなにもまっすぐにそう思えるとは。

だって、362円なのよ、この文庫。
362円に哲学的価値がいかほどあると思って?



頭の隅ではちゃんと
20071107120834
外ランチ。
玄米のクレープにひよこ豆やら水菜やらチキンやらがくるんである。
本を読みながら上の空で食べてたはずなのに、
頭の隅ではきちんと「これにチーズがはいってたらもっとおいしくなるのに」と考えてる。

ごはんのことって
案外存外にはできないのだなぁ。
わたしがそういう性分なんだろうなぁ。

つなぐ、6年。
映画を撮影中、
それぞれのシーンを違う日に撮影して
後から編集でフィルムをつなぎ合わせると
ストーリーがつながらなくなってしまう時があるという。

それは、役者の顔がむくんでたり
日に焼けていたりするときなど
容姿に変化があるときで、
同じシーンでそれがわかると
ストーリーとは別の時間の存在に見ている側が
気がついてしまうからだ。

たとえば、6年の年月を経て同じ映画を撮るとしよう。

4人がけの机に
若者が3人。
黒髪の青年が2人と
前髪を切ったばかりの女が1人。

ひとりは映画に明るく
ひとりは洋服の研究をし
ひとりは日常の生活の中からストーリーをみつけることがすきだった。

3人でおいしいごはんを食べながら、
最近みた映画の話をしたり
青年ふたりが共通の友人のはなしをし、
女はビール瓶の外側をゆるやかにすべり落ちる雫を眺めながらその話にうなずいた。

そういう映画を、
前半の1時間を6年前に
後半の1時間半を同じキャストで6年後に撮影したとする。

映画だったらひとつの物語として成立させるために
役者は容姿の維持を努力しなければならないが、
それ以外は脚本もあるのでストーリーに変化はない。

それが、どうだろう。
現実の世界の話となると、
18歳のティーンネイジャーが
24歳になるということだ。
ぐるりのことがまるで変わる。

そういう状況で、かつてと同じシーンが成り立つだろうか。
同じ話に頷き、
同じ音楽を聴き、
同じテーマで話すことに喜びを覚えるだろうか。

なぜ、こういう話をするかというと、
わたしがこの話の登場人物だからで
6年越しに撮影した映画を完成させたようだったから。

6年前のフィルムが
あの夜のフィルムとぴたりと合わさる。

容姿が変わらない
着ている洋服の好みも変わらず
そして話す内容も変わらなかった。

それは変化も成長もないのではなく、
変化も成長もあった上でそれでもやっぱり変わらないということだ。

同じことばで
同じ美しさや
同じ時間を楽しむ、そういう3人なのだと思えて仕方なかった。

わたしは18歳から22歳くらいまで、
ふりかえるとちょうど大学時代に当たるのだと思うけれど、
すごく窮屈だった。
感じ方も考え方も小さくなっていたし、
なにより表現できずにいた。
持てるものを隠したかった気がする。
それは無意識のような意識的だったような、
どちらとも言いがたい葛藤があってのことだ。

もちろん、今だってうまくない。
とても不器用なやり方で不細工な自分をつくろうとしてる。

だけれど、それを外に現したりすることに
前ほどよりは臆病にならずに済むことも多くなってきた。
それはわたしの内の変化もあるし
わたしを受け入れてくれる側の環境が整ってきたことも挙げられる。

でも、なによりも安心できたのは
変わらない部分がすごくいいものになってきてるという確信が
少しずつだけれど持てるようになったこと。
そのことに、つきる。

つないだ6年前と
つながる今と
つなげる6年後、そういう白い光の線が見えた時間だった。

要するに、いい夜だったということ。



月曜日の音楽
10月の中ごろ、一通のメール。

件名は「音を楽しむお誘い」とある。
誘ってくれた人の感性をすっかり信頼しているわたしは、
断ったりは勿論しない。
あげく、メールを貰った翌日にはチケットを手配。
時に内に秘めた瞬発力を発揮するのだ。

そして月曜日。
行って来たのは、寺尾沙穂さんのワンマンライブ。
それもゲストはハンバートハンバートの佐藤良成さん。
京都でハンバートに出会って依頼、聞き倒して、
ライブにも行って興奮した記憶も遠くない。

寺尾沙穂さんのライブははじめて。
わたしが彼女の歌声を耳にするきっかけは、
この日ライブに誘ってくれた人が作ってくれたのだけれど、
そのエピソードはもったいなくてここでは語らない。
いや、語れない。

ライブはすばらしかった。
どこまでも伸びてゆくような青緑の植物の成長。
花が咲いて、その後に種を宿すようなその流れ。
渋谷のクアトロ、あの真っ黒な空間に
色があふれ出す、その瞬間に立ち会った気分だった。

2回目のアンコール、
「グローリーハレルヤ」という曲が
カバーなのだけれど、よすぎてよすぎてどうにかなっちゃうかと思った。
西岡恭蔵という人が作ったうただと、さっき、調べた。
この方、アン・サリーさんがカバーしてる「アフリカの月」の人ではないか!

ハンバートの良成さんのソロもすごくよかった。
わたしはこの人の声がすきだ。
うたう時の声もしゃべる時の声もいい。
ついでに言うなら、話す内容もまたいい。

韓国の太鼓をはじめて生でみて、
空気がふるえたのがわかった。
演者のチェさんがまた、ふるわす人なのだ。
そういう流れが手に取るように、わかった。
そこにいる人、みんなわかったに違いない。

帰りは腕時計も携帯電話も持たない人を置き去りにして、
電車に乗った。
今みてきたライブとライブ前にお酒をのみつつみんなで話した
カレーうどんのことで持ちきりだった。

誘ってくれた人と本当はもっと話したいことがあったはずなのに、
会ったら全部どこかにおいてきてしまった。
京都の人と会ったり、
腕時計も携帯電話ももたない人と挨拶したりしてたからだ。
そこで出会った人がみんなみんな素晴らしくて、
興奮しきりだったのだ。

わたしは、もっと落ちつかなきゃいけないな。

寺尾沙穂さんは1982年生まれで、
わたしとは年がひとつしか違わないなんて
まるで思えなかった。
なんであんなにぶれずにいられるのか。
嫉妬とも焦燥ともつかない感情を
どうすることもできないまんま、一週間が過ぎようとしてる。

それなのに、まだ、忘れられない。
グローリーハレルヤを。






復活劇!
別に「劇」とつける必要性はどこにもないのだけれど。

復活です。
PC。
オンライン果たせました。

あー、長かった。長かったよ。

もうテレビはみないから、
情報のソースはいつでもネットからになってしまう、わたし。
オフラインが続くだけで、
こんなに窮屈かと愕然とする。

依存症なのかしら?
でも、テレビに頼る生活は、
もうイヤなのだな。
たまに流してみていても、映像の作られ方に辟易しちゃって。

ない生活だって、もちろんあったのに。
人間ってのは慣れると元の生活には戻れないっていうのは本当なのだった。
そうやって、欲、欲、欲によって今の世界は成立してる。
強欲さを軽蔑しつつも
断ち切れない。
戻れない人間のジレンマ。

そういうわけで、
また書き散らします。
ひとつ、よろしく。
のまずにはいられない…2
20071101232851
携帯電話みつかってよかったね&お疲れ様会をひとりで華々しく敢行してる間に人身事故だって…。
駅は人山の黒だかり…。

母親にメール。
すると「今日は仏滅だからね」だってさ。さいですか…。

明日やすみでよかったよ。
でものんだことは後悔してないよ。だいすきなハーフ&ハーフのんだもの!!
ようやっと帰宅!
何この時間。

わたし、仕事終わったの18時なのに(死)
のまずにはいられない…1
20071101232222
改札をくぐるとそのエピソードは繰り替えされた。

高校時代、友人の話。
携帯電話を電車に置き忘れたという。気がついた時に、慌てて自分の番号に電話をしてみると、幸いにも終着駅にて回収され、無事、手元に戻ったという話。
とくに珍しい話でもなければ感動的なストーリーでもない。日常のとあるひとこま。

改札をくぐってから7年前のエピソードを急に思いだし、更には延々と頭を廻る。
一体なんだってのよ?とそのエピソードは無視して、途中下車した池袋で必要なものを買いに2つの店舗を回る。
必要なものを手に入れるだけなので購入もまたスムーズ。
エピソードはまだ頭から離れてくれない。
2件目に訪れた電器屋さんの店頭で、なんとはなしに陳列された携帯電話の様々な機種を眺めたり、手にしてみる。

どうだ?
まだ。まだだ。
まだ、頭を例のエピソードが規則正しく始まりから終わりまで繰り替えされる。

そこで、いよいよ観念したわけだ。
デニムパンツの右後ろのポケット、ショルダーかばんの内ポケット、いつもの指定席にないではないか。

そうか、そういうことか。

最後に見た場所をはっきりと覚えてる。
セタート場所のトイレ。
池袋の改札をくぐり、元来た道を戻る。

ほら、のまないわけにはいかないのだ!!
というわけで、カフェでひとりでビールをのむを実施。こういうのできるようになっちゃうと、女力はまた落ちたようなそうでないような…。葛藤。
携帯電話みつかってよかったね&お疲れ様会だわっ!!

つづく!
プロフィール

まりえ

Author:まりえ
日々、のんきに暮らしてます。

季節が少しずつ
移ろいでゆくように
わたしも
少しずつ
移ろいでゆこうと思います。

おたよりはコチラへどうぞ。

そして、引越し前(アメブロ)の記事は


コチラ。

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