のんきにうたかたの想いを綴ります。
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『沼地のある森を抜けて』 * 梨木 香歩
沼地のある森を抜けて沼地のある森を抜けて
(2005/08/30)
梨木 香歩

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3年前のわたしはこの作品に2ヶ月向き合ってたことになる。
読み始めてからきちんと終わりをみるまでに、2ヶ月かかったのだ。

どうしてそれを覚えているかというと、
(いや正確には覚えていないのだけれど)
このブログ。
これをはじめた根本はそこだったのだ。

わたしは、なぜだかすぐ忘れちゃう。
読んでも観ても、覚えてられない。
そうだ!読んだもの観たものを記録しよう!!というのと
その当時、幾人かから文章を書くことをすすめられていたこともあって
一石二鳥と安直の入り混じった解決策としてブログをはじめたのだった。

今じゃ日ごろのぐだぐだを吐き出す場と成り果てているけれど。

そういうわけで、ブログの生い立ちはさておき。
もとの話に戻ろう。

3年前の記事を読むと、当時のわたしは全然消化できてないことがわかる。

それが、だ。
今回、ふと、あることがきっかけで再び手にする。
そう、3年ぶりの対峙。

普段は何も感じない。
どうしてこうも同じ場所を堂々巡りしてしまうのだろうと、
いつも自分の成長のなさにがっかりしてばかりだ。

昨日と今日。
一週間前と一週間後。
それだけじゃ分からないだけで、ほんとうに少しずつだけれど、
それでもちゃんと確かに変わりゆくのだ、と実感することができた。

今回、7日間で読み終え、
さらに読後に、すんなりと染み渡る確かな心地よさがあったのだ。
今のわたしが持ちうる感覚が、この本のすべてとは言わないけれど
かなりの部分を感じ取ることができたとさえ思えた。

ちゃんと成長してるではないか、わたしも。

ここで敢えて「成長」という言葉を用いたけれど
ほんとうは「退化」なのかもしれない。
そこらへんの細かいところはわからないけれど、
まだ24歳という年齢から考えて「成長」でありたいというわたしの傲慢さかもしれない。
ま、どちらでもいいのだけれど(ほんとうは結構こだわっているが)
「何かしらの変化」がはっきりと確認できた、そのことがわたしを喜ばせるのだ。

さて、お気づきでしょうが、ここまではこの本を介しての「わたし」の話。
ここでもやはり、日ごろのぐだぐだの吐き出す場となってしまったわけだけれど。
最後にほんの少しだけでも、本そのものの話を。

この作品は細胞レベルまで視点を落とした、いのちの話。営みの話。
繰り返され続けてきた生き物の話。

生き辛い環境、
次へと繋ぐことへの諦めさえ感じられるこの世界に、
それでもわたしたちが繋がりを断ち切れない答えが描かれてる。

迷いながらも
手をとりあう、その率直さに。
わたしは答えがあるように思う。

タイトルに結ばれてゆく、物語の最後。
こういうふうにひとつの環となる完成度の高さが、わたしはすきだ。
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